阿瑞官粿店で美味しい芋粿巧を堪能して、一つ目のグルメを攻略して満足したところで、お次はお寺訪問。
先ほどの地図で見かけた新莊地藏庵は、新荘老街のメインストリートからは外れるが、地図で見ると通りを渡ってすぐのようなので、寄り道してみよう。
老街から表の大通りの中正路に出ると、通りの向こうに渡れる横断歩道があった。
近づくと、お寺の屋根がデザインされてたりして、なんか可愛い歩道橋だった。
歩道橋を渡って、新荘地蔵庵の敷地の入口に着いたところで、私の眼は古い石造りの狛犬にくぎ付けになった。
え!? ここも日本統治時代の神社の遺跡だったの!?
何となくさっき来ることに決めたから、何の下調べもなく、地蔵庵について全然知らないで来たから非常に驚いた。台座に「奉献」とあるから、日本の物で間違いないはず。
門をくぐると、参道にはやはり、石灯籠も並んでいた。
石灯籠の裏に回って奉納時期と奉納者を確認してみる。
大部分は削ったり、上からコンクリが塗ってあったりするけど、いくつかの石灯籠は割と鮮明に建立時の文字を読むことができた。
一番鮮明だったのはこちら。
「昭和十二年十月建 河内源治」とある。1937年か。きっと地元の名士の方だったんだろう。
あとは、ご夫婦連名で奉納されているものや、新庄郡街庄協議会員などと書かれた石灯籠が確認できた。
やはり、ここには日本の神社があったのだ。
帰宅してから改めて調べてみると、ここにあった神社は新荘神社といって、地蔵庵の本殿のそばに神社の社殿が建てられていたそうだ。
戦後に大陸からやって来た国民党政府が日本統治時代の色々なものを破壊した時に、神社も取り壊されたようだ。石灯籠や狛犬の奉納年や奉納者のところが削られたりしているのは、この破壊活動の名残だ。
ただ有難いことに、地蔵庵では新荘神社の神輿を歴史の証人として今も大切に保存&展示しているという。残念なことに、訪問時の私は全く存じ上げず神輿の見学は叶わなかった。
地蔵庵自体は、日本統治時代は日本の寺制度に組み入れられてはいたらしいが、本殿は当時も今の場所にあったようだ。
資料によると、地蔵庵の創建は清代の1757年で、もともとは市の中心ではなく荒れ地に「西向き」に建っていたという。
西向きというのはあの世の方角であり、お寺が初期に祀っていたのは「大衆爺」、人々に災厄をもたらす孤独な霊(非業の死や恨みを持って亡くなった人の霊)だったそうだ。
大衆爺は、日本でいうと「御霊(ごりょう)」に近いと思われる。天災や疫病を集落にもたらす怨霊を鎮め、祀ることで災厄を逃れるという信仰だ。
後年になり地蔵菩薩などほかの神々も祀るようになり、現在の地蔵庵となったそうだ。
さて、現在の本殿。
最後の大改修は1972年だったそうなので、わりと新しい部分もある様子。
とても立派な廟で、周囲にはお供え物を売る屋台もたくさん出ていて賑やか。
本殿に入ると中にもたくさんの人がお参り中で、モクモクとお香の煙が漂っていた。
新荘のみなさんの信仰の中心なのだなあと、感心。
私も遠くから手を合わせて、地蔵庵を後にした。
さて、また来た道を戻って、新荘老街メインストリートへ戻り散策を続けよう。
新莊老街散歩④につづく~
新荘地蔵庵(新荘神社遺跡)
住所:新北市新莊區中正路84號
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