昼食を終え、本日3か所目の目的地へ。
場所は、MRT圓山駅2番出口側前の高架を花博公園側に出たはす向かい、玉門街の「臨濟護國禪寺」だ。
駅から山吹色の建物が見えるからここにお寺があるのは知ってたけど、外から見ると中華風だから、中に日本のお寺があるとは最近まで気が付かなかった。
この山吹色の建物は山門だそうだ。がっつり中華風だよね。
うん?でもシャッター下りてるぞ?
ここが入口じゃないの? 何で閉まってるの? 非公開?
と思ったら、門に「コロナ拡大中につき右の路地の入口からお入りください」的なお知らせが貼ってあった。あ、なるほどね。
てくてく花博公園方向に進んで建物沿いに進むと側門的な入口があった。こっちの入口も中華風だ。
ちゅうか、屋根瓦の列に沿って等間隔で並んでるハトが気になるな。笑
その右手には鐘楼があって、そちらは日本風。
手前の石碑には、塗りつぶされていて見えなくなってるけど、「施主 台北在住 岐阜県出身」「昭和十?年」などの文字が確認できた。
鐘楼は先ほど見てきた曹洞宗大本山台北別院鐘楼よりもかなり小ぶりだけど、基本スタイルはよく似ている。屋根の構造も美しい。
中華風の門は見ないでこちらの鐘楼だけ見てたら、すごい日本にいるみたいな雰囲気だ。
ところで、こちらの「臨濟護國禪寺」についてだが、お寺の公式サイトや文化部のサイトなどによると、以下のような歴史があるそうだ。
お寺の山号は「鎮南山」で、開基(創立者)は時の台湾総督の児玉源太郎。
台湾で初めて「護国」の名を冠した寺院で、臨済宗妙心寺派の台湾別院として建立された。
1911年(明治44年)に本堂が完成、1912年(明治45年)にお寺に仏様がお入りになり、お寺としての運用が始まった。
戦後は国民党軍に占領され、高射砲が置かれたり、軍属の住宅が作られたりと、寺の荒廃が進んだが、のちに鼓山泉湧寺からきた盛滿法師が住職となってから、少しずつ寺としての姿を取り戻していったという。
台湾で当時の姿をとどめている最大の木造建築の仏寺であることから、本堂の大雄寶殿と鐘樓門が台北市の市定古蹟に指定されている。
ということで、この鐘楼も古跡なのね。
門をくぐり中に入ると駐車場で、あとは事務所的なコンクリートの現代の建物が並んでいて、木造のお寺があるように見えない。
でも位置的には最初の山門の向かいになるはずなので、鐘楼を背にまっすぐ進んでいくと、右手に木造の本堂の大雄寶殿が現れた。
ああ……和だわ!
すごく日本だわ! 美しい……。なんだか、じーんとするわ……。
お寺の屋根とか建物のつくりとか、正しく日本のお寺の雰囲気。
本堂内は非公開で中に入ることはできなかったが、回廊は靴を脱いで上がることができたので、ぐるっと一周歩いてみた。
本堂の中は結構がらんとしている。奥にいらっしゃる仏様は日本風の仏様だった。
遠くてよく見えなかったけど、ご本尊は釋迦牟尼佛、そして文殊菩薩、普賢菩薩がならぶ華厳三聖で、明治期のものだそうだ。近くで拝見したかったわ……。
回廊に梵鐘が吊るしてあった。こちらの鐘は午前中の曹洞宗東和禅寺のものとは異なり、日本風のシンプルな青銅の鐘だった。
あとで調べたところ、この鐘は1910年(明治43年)に鋳造されたもので、もともとは鐘楼門にかけられていたものを、1960年に本堂に移動したものらしい。見学した時にはよく見えなかったけど、鐘には四柱の仏さまや金剛菩薩様などが彫刻されているそうだ。
オリジナルのままっていうのは尊いですね。
本堂を見ていて思ったが、木材がとても新しくて、とても完成から110年経ってるようには見えない。改修して新しい木材に変えてる部分が多いのかも。
こちらについても、あとで調べた他ところ、1984年に道路拡張工事に伴い、台北市により本堂が北に移転され、玉門街に面するように向きも変えられたという。
2000年代には、瓦を下ろしての大改修も行われたというから、この移転と改修で木材も新しくなったと思われる。
それでも、建設当時の姿を限りなくとどめているのはすごいことだ。
台北市の大型仏教寺院で、日本の木造建築のお寺がほぼ完全な形で残っているのはここだけだというから、本当に貴重なものだと思う。
すっごく日本にいる気分を満喫できましたわ……。
ありがとうございます。
続いては、この本堂の裏手の高台(山?)に登ってみようと思います。
2022年1月お正月は日本のお寺巡りでエア帰省⑤につづく~
臨濟護國禪寺
住所:台北市中山區玉門街9號
時間:07:30~16:00
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