次の目的地は、台湾鉄道鼓山駅近くの国定古跡のレンガ工場跡「中都唐榮磚窯廠」。
ルートを事前に地図で確認したところ、一見駅からすぐの場所にあるっぽい目的地に行くには川をぐるりと回ってちょっと遠い橋を渡らないといけないようだった。しかし、今いる果貿社區から目的地のすぐそばまで行けるバスがあったので、バスで向かうことにした。地下化の鉄道の旅どうした、って感じだけど便利だからいいのだ。
中都唐榮磚窯廠最寄りのバス停でバスを降りると、目の前はだだっ広い草原。
奥に煙突が並んでいるところが目的地の中都唐榮磚窯廠だろう。
反対側の中華横路まで歩いて行って、入口を探して工場の周りを歩いてみたが、フェンスに囲まれていて入口が良く分からない。フェンスの外からホフマン窯と2基の煙突は見えるが、ちゃんと近くで見学したい。
仕方ないのでもう一度、中華横路に面して建っているレンガの建物に戻ってきた。解説板を見ると、ここもレンガ工場の敷地の一部で、「台湾煉瓦株式会社打狗工場の赤煉瓦事務所」とのことだった。建物内は公開されていなかったが、赤煉瓦の綺麗な建物だった。
この事務所の建物を見学していると、建物後方に遊歩道があるのに気がついた。どうやらこの遊歩道はレンガ工場に続いているようだったので歩いて行ってみると、ゲートの前に出ることができた。
見学エリアに入っていくと、先客が数人とコスプレのグループが撮影会をされているほかは、ほとんど見学者がいなかった。
キョロキョロしていると管理人さんらしき方に声をかけられた。私が日本人だと分かると話が盛り上がり、さらにお暇だったのか、マンツーマンで自ら中を案内してくださった。
工場は日本人の鮫島盛氏が1897年(明治30年)に「鮫島煉瓦工場」として設立したのが始まりで、その後、煉瓦需要の増加に伴い1913年に設立された「台湾煉瓦株式会社」に併合された。
日本統治時代の工場の建造物としては、先ほどフェンスの外から見えたホフマン窯(八卦窯)と2基の煙突が現存している。
北側のトンネルを足元から見上げると、上の方に不自然なボコボコの穴がいくつも見えるのだが、これは第二次世界大戦中に米軍の空襲を受けた際の銃弾跡だという。100年以上の歴史を見てきた工場ならではである。
壁面のレンガに「TR(Taiwan Renga)」の刻印が見えるのも、「台湾煉瓦株式会社」の工場だった面影が感じられる。
解説板が置いてあったトンネル窯(隧道窯)と鉄道レールのあたりは戦後になってから設置されたもの。
トンネルというだけあって、細長くて蛇のような窯だ。
両脇の入口のほかに、途中にいくつか空気穴があって、中がのぞけるようになっていた。
トンネル窯わきのレールは近くの三塊厝駅まで続いていて、工場で生産したレンガを鉄道で運んでいた。ライトな鉄子としてはこれも萌えポイントである。
戦後は中華民国政府に接収された後、1957年に民間のレンガ工場に買収され「唐榮鐵工廠股份有限公司高雄磚廠」となり、1985年まで操業していた。
2003年には高雄市の市定古跡になり、2005年に国定古跡に指定され、公園として整備が進められている――らしいが、その割には未整備のところが多く、修復は進んでいないように見えた。
管理人さんのお話によると、昔はもっとたくさんの建造物があったのだが、操業停止後に多くが取り壊されたのだそう。
工場跡地の地主さんは本当はここを更地にして商業施設とかにしたかったそうで、古跡に指定されて開発ができなくなり色々ごたごたもあったとか。
修復整備が進んでないのはなんだろうな、私の個人的予想としては、ありがちな理由で予算不足とかじゃないかしらん。
きちんと整備したら、もっと観光客が来やすい素敵な観光スポットになりそうなのに、もったいないな。
本当に、1日も早く公園の整備が完全なものになり、もっと多くの人が訪れるようになってほしい、素晴らしい歴史スポットだった。本日の出会いに、感謝!
(下の写真はホフマン窯の外観)
2018年12月1泊2日台南・高雄ひとり旅10DAY2-5につづく~
中都唐榮磚窯廠(旧台湾煉瓦株式会社打狗工場)
住所:高雄市三民區中華橫路220號
時間:10:00~17:00、月曜休園
料金:入園無料
※現在は中華横路側にちゃんとした入口がある様子
↓ ここまでのルート
↓ バス停から赤煉瓦事務所経由工場跡までのルート(2018年当時)
0コメント