遇見果香二館さんに駆け戻りマンゴーかき氷代をお支払いして、無銭飲食を回避したところで、改めてバスターミナルに向かう。
雨がやんでいたので、道すがら改めて周囲の建物などを見ながら歩いてみた。
お店からバスターミナルにつづく樹糖街という通りの周辺は、日本統治時代から戦後にかけて栄えた製糖工場「玉井糖廠」の敷地内にあたる。現在は一部施設を整備して「噍吧哖事件紀念園区」とも呼ばれている様子。
資料によると、玉井製糖工場は日本統治時代の1913年の設立で、最盛期には1日1000トンものサトウキビを圧搾していたんだとか。確か台北の博物館で見た当時の記録映像にも台南の製糖工場についての説明が登場していた。それくらい、製糖は日本にとって重要な産業だったようだ。
戦後は国民党政府に接収され、現在の台湾糖業になっていくわけだが、外国産の安い砂糖が入ってくると台湾の製糖業は徐々に衰退していく。玉井製糖工場は1990年代前半に操業停止となった。
かき氷店の向かいは「噍吧年事件紀念館」という資料館で、製糖工場の招待所(偉い人の宿泊所)だった建物らしい。この日は休館で中はみていない。ちなみにかき氷店にはお手洗いがないので、お手洗いを借りるのはこの建物の外にあるお手洗いになる。休館中でも利用可だった。
資料館の向かいは玉井製糖工場の工場本体の建物があったと思われる土地。立ち入りできないようになっていたので外から見てみると、正門付近は事務棟と思われる建物と、蒋介石の銅像がぽつんと残っているが、廃墟萌えの美しさは特にない。それよりも、敷地の端や奥にちらっと見えた日本家屋の宿舎とかの方が気になったが、何の整備も補修もされておらず打ち捨てられてる感じで、非常にもったいなかった。
バス停に向かって坂を上っている途中の左手には、製糖工場でサトウキビを運んでいた蒸気機関車が置いてあった。
私が見た時は修復中なのかテープで囲んであって、本体もさびてボロボロだった。それでも、なかなか趣のあるお姿の蒸気機関車だった。
脇にあった解説板には1974年から1975年の間に、永康製糖工場から玉井に派遣されてサトウキビ輸送をサポートしていたという。
坂を上り切るとバスターミナルの通りに出る。振り返ると、樹糖街の入口に「台湾糖業公司玉井糖廠」の看板があった。なんだか、タイムトンネルから出てきたような気持になった。
製糖工場跡をもっときちんと整備したらいい観光スポットになるんじゃないかなと思ったけど、田舎だから維持管理の方が難しくなるのかな。でも、かき氷店の建物と資料館ぐらいしか利用してないなんて、歴史スポットとしてもったいないな……などと、つらつら考えながらバスターミナルへ戻ったのだった。
バスターミナルに戻ると12時前。少し早いけど、このまま台南駅に向かうことにしよう。
2018年6月台南バイク&バス旅3泊4日。21DAY3-4につづく~
玉井糖廠
住所:台南市玉井區樹糖街
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